メインテナンスケア

オーラルフレイルの今

メインテナンスケア予防

オーラルフレイルが身体機能にもたらす影響

皆さんは、「8020運動」をご存知でしょうか。20本以上の歯があれば食生活にはほぼ満足できるということから80歳になっても20本以上の歯を保とうという運動です。1989年に始まった8020運動は、開始から30年となる2017年時点で、達成度はなんと6倍にもなりました。

今や54%以上の人々が「8020」の状態を達成しているのです。日本で提唱されてきた健康運動の中でも優秀な結果を収めており、今ではすっかり定着した健康に対する概念のひとつになっています。そんな8020運動が始まって4~5年たった頃、秋田県の南外村(現・大仙市)という、秋田県横手市からバスで30分以上はなれた村で、お年寄りがどのように生活しているかという興味深い調査が行われました。65歳以上の高齢者748人を対象に、1992年から6年間にわたって健康状態を調べるという大規模コホート調査です。

病歴、入院歴、歯の本数、入れ歯の状態、咀嚼能力などの調査項目を定期的に調べていきました。この6年の間に、調査を続けた対象のうち、約100人が準寝たきり、あるいは寝たきりになりました。そして、寝たきりになっていない人と寝たきりになった人を比較し、統計学的に分析して判明した危険因子が「男性であること」「普通に歩いたときの速度が1秒間に1メートル歩けないほど歩行速度が遅いこと」そして、「咀嚼能力が低いこと」であることがわかったのです。

この結果は2001年に論文化され、報告されました。この調査によって、口の周りの衰えは身体の衰えに結びつく大きな要因のひとつであるという新たな知見を得ました。歯の本数、噛み合わせ、口の中の筋力など、口全体の機能の重要性に気づいたのです。

この調査では、被験者の咀嚼能力を調べるため、1.3cm四方の硬さの違うグミを噛み、口の中で30秒間に2つ以上に割れるかどうかを実践してもらいました。すると、歯が揃っていてもグミを割れない人がいる一方で、歯が揃っていなくてもグミを割れる人がいました。実は、歯が残っていなくても口の中の筋肉や舌が発達していれば、きちんと咀嚼できる人がいたのです。

一方で、歯が残っていても噛み合わせが悪く、うまく噛めていない人もいることがわかりました。そして、グミが噛める人は年数を経ても元気である人が多いことから、8020運動の目的である「歯を20本以上残す」ことの大切さがあらためてわかっただけでなく、咀嚼能力自体の大切さも浮き彫りになりました。この研究結果を受け、前回紹介した柏スタディでは、グミに代わって、咀嚼能力判定用の色変わりガムを取り入れ、口の機能を調べ続けてきました。

オーラルフレイルの評価項目

  1. 自分の歯が20本未満
  2. 滑舌の低下
  3. 噛む力が弱い
  4. 舌の力が弱い
  5. 「半年前と比べて硬いものが噛みにくくなった」と思う
  6. 「お茶や汁物でむせることがある」と思う

柏スタディでは、上記の6つの評価項目のうち、3つ以上に当てはまった場合をオーラルフレイルとしています。その結果、2044人中16%がオーラルフレイルに該当したのです。オーラルフレイルの前段階であるプレオーラルフレイルの人は50%もおり、この人たちがオーラルフレイルにならないようにすることも重要だと考えられます。

 

オーラルフレイルは改善が可能

オーラルフレイルを進行させず、要介護や寝たきりに進むことをくい止めるにはどうすればいいのでしょうか。「Ⅰ・口の健康への意識の低下」「Ⅱ・口のささいなトラブルの連鎖」「Ⅲ・口の機能低下」の段階までは、地域保険事業や医師、歯科医師の介入と日頃の努力により前の段階に戻すことが可能です。しかし、「Ⅳ・食べる機能の障害」へ到達してしまうと、介護が必要な状態になり、前の段階に戻すことは難しいでしょう。ですから、自分の状態を早めに自覚し、予防や治療を行って進行しないよう心がける必要があるのです。ただし、要介護状態になったとしても、お口の中の健康状態に気を使うことは、QOL(生活の質)を保つために非常に重要な視点となります。

 

オーラルフレイルと口腔機能低下症

オーラルフレイルは、保険診療内で治療をすることが難しかった領域です。しかし2018年、正式に「口腔機能低下症」という病名が認められ、この状態であると判明すれば、歯科において診断・治療ができるようになりました。従来、歯科の現場では、「痛みをとる」ことや、「歯をきちんと並べ、揃える」ことが治療のゴールと捉えられていました。しかし、「食べ物を噛んで飲み込む」「会話がスムーズにできる」といった口腔機能を重視した考え方が少しずつ理解されてきました。口腔機能低下症が診療・治療対象となったことで、歯科医師や歯科衛生士はもちろん、医師、看護師、管理栄養士などの医療スタッフがお口の機能に対する認識を新たにし、予防を含めたオーラルフレイルへの対処ができるようになったのです。なお、介護保険・介護予防サービスでは、前述した秋田県南外村での調査などをきっかけに、2006年に口腔機能向上サービスが加えられました。介護の現場では、口腔機能の向上が、高齢者のQOLのアップはもちろん、介護予防や要介護度の重度化を防ぐことにつながると認識されていたのです。実際に、口腔機能を向上させることで低栄養の予防や誤嚥防止、さらに食事や生活を楽しむために役立つことなどが報告されています。

 

親しい人同士でチェックし合うことが大切

ひとり暮らしや孤食の人はオーラルフレイルになりやすいとお伝えしてきましたが、お口の機能を向上させるには、家族みんなで気をつけることがより効果的です。3世代で食事ができることはとても理想的なのです。オーラルフレイルは、高齢者だけの問題ではありません。65歳を過ぎてから衰えに気づいても、長年培った食習慣や行動を変えるのはなかなか大変です。できれば子どものうちから、将来オーラルフレイルにならないような生活を心がける必要があるのです。

 

オーラルフレイルは若いうちから忍び寄る?

日本では学校教育が終わると、歯科検診も終わってしまいます。その後、歯のメンテナンスは個人に委ねられており、大学生になって親元を離れたり、就職して忙しい盛りになる20歳代では、歯や口の機能に気を使うことをつい忘れてしまい、将来オーラルフレイルに進む素地を作ってしまっていることが往々にしてあるのです。そうして30歳、40歳、50歳と歳を重ねるうち、ないがしろにしてきたお口の機能はどんどん衰えていきます。それが高齢者になったときにオーラルフレイルとして表れ、要介護や寝たきりの原因になってしまうのです。これを知れば、若いうちからお口の健康に対する意識をしっかり持ち、気をつけておくことが不可欠だとわかるでしょう。

 

深刻化する子どものお口の機能低下

最近の子どもたちの食生活について懸念されていることがあります。それは、あごの発達不足の問題です。現在、様々な啓発活動によっておもに親世代の意識が高まり、子どもが虫歯になりにくくなりました。一方で、硬いものを食べる機会が減っている子どものあごが発達しにくく、うまく噛めていない子が増えているのです。最近の子どもたちはの顔は、あごが細くて、イケメンや美人さんが多いですね。エラの張っているお子さんはあまり見なくなりました。あごが細いと見た目はよいかもしれませんが、生きていくために大切な「噛む力」が衰え、健康な食事ができないリスクがあります。

あごは、身体の中で唯一、左右対称となるふたつの関節がセットでひとつの動きをする箇所です。噛むという上下の動きのみならず、食べ物をすりつぶすための左右の動きができる関節なのです。ところが、最近の子どもたちはやわらかく食べやすい食べ物ばかりを食べることが多く、あごが発達していきません。やわらかい食べ物はすりつぶす必要がないので、左右の動きを行う必要がなく、あごを左右に動かす外側翼突筋が発達しないのです。普段からあごの上下運動しかせず、すりつぶす機能が未発達の子どもは、繊維質の多い野菜やたけのこ、筋のある赤身肉、鶏ささみ肉などがうまく食べられません。最近の子どもたちは給食の食べ残しが多いようですが、食べ物の好き嫌いが多いというだけでなく、食べ物を噛み切れないことから、ブロッコリーや鶏肉、もやしなどを残してしまうのです。すりつぶして食べる必要がある食材には食物繊維やビタミン、ミネラルが豊富なものが多く、こういった食べ物がきちんと摂取できないと、将来の生活習慣病のリスクが非常に高まります。そうして、幼いころから偏った食事をとって過ごす今の若い世代は、将来、早いうちからオーラルフレイルに陥る危険性が高いのです。

お口をぽかんと開けて、口呼吸する子どもを見ることがありますが、これもお口の機能の未発達が原因です。口呼吸には、免疫力低下や感染症のリスクがあるといわれています。舌や唇など、口の中の筋肉の発達を促し、鼻で正しく呼吸するように指導しましょう。舌を正しい位置(上あごの前歯の裏側)に置くように意識すれば、きちんと口を閉じることができるようになります。お口の機能がうまく使えない子どもは、ストローで水を吸うことができない場合が多いので、そうしたサインがあったら要注意です。そして、中学生になったら、歯科などで歯がきちんと発達しているかどうかを確認しておくことも大切でしょう。

こうした口の機能の未発達な子供に対しても、2018年より「口腔機能発達不全症」という病名も新しく認められました。我々歯科医療に携わる者にとって、口腔機能を見る目を養うことが極めて重要な時代となって来ました。

 

家族で食卓を囲むことの大切さ

日本の現代社会において、もはや核家族は特殊なことではありません。大勢の家族で食卓を囲むという機会は、ほとんどなくなっているかもしれません。しかし、多世代で食事をすることはとても良いことです。昔は当たり前だった食事の礼儀作法や伝統的な和食の食べ方など、祖父母世代から学ぶことは多いのです。たとえ同居していなくても、たまには祖父母、親、子が一緒に食卓を囲む機会を持つことが、将来の子どものためになります。「孫たちが来たから、今日はハンバーグ」といった子どもの好物ばかりでなく、ときには季節の旬の野菜やこんにゃく、豆類など、硬さや味わいが豊富な和食を囲んでみましょう。そうした「食育」をとおし、自身もあらためて食事のおいしさ、大切さに気づけるのではないでしょうか。

咀嚼能力やお口の周辺の筋力の衰えなどは、最近の子どもたちと、オーラルフレイルの人に共通することです。一緒に食卓を囲んで歯ごたえのある食べ物にチャレンジしたり、ワイワイと会話し、笑いあいながら食事をすることが、心身ともに健康への近道なのです。