鼻の防御機能
鼻には複数のバリアが備わっている
ヒトの鼻も同じようにさまざまな方法で外敵から身を守ります。しかもその外敵は種類が多く、花粉やゴミなどの大きなものから、細菌、ウイルスといった極小のものまであります。最近では、これまで経験することがほとんどなかったPM2.5やマイクロプラスチックといった汚染物質もありますから、負担は増える一方です。
口腔内の感覚もとても鋭敏で、0.1mmの異物も見分けることができるそうです。口の場合は咀嚼したり、いざというときはペッと吐き出すことができますが、鼻はそうはいきません。どうやって鼻が外敵から身を守っているのか、物理バリア、化学バリア、生物学的バリアそれぞれの面から詳しくお伝えしましょう。
物理バリア
物理バリアは、家にたとえると外構の柵や壁を高くしたり頑丈にしたりすることです。「鼻毛」「鼻汁」「線毛」「タイトジャンクション」が相当します。
「鼻毛」は外鼻孔から1cmほど奥まで、鼻のほんの一部分にしかありません。ホコリっぽいところで生活するとよく伸びます。患者さんが鼻呼吸を意識し出すと「鼻毛がよく伸びるようになった」と苦情が出ます。(それまでは鼻を使っていなかったという証拠なのですが)。ほとんどの異物はここでブロックされます。
異物がさらに奥へ進むと「鼻汁」で絡め取られて、「線毛」が鼻の外へと排出します。繊毛による異物排出の動きは1時間に7mmほどです。鼻汁は1日1Lほど分泌され、その大半が加湿に使われます。鼻汁を効果的に使うエコサイクルも鼻には備わっています。
また、細胞同士は「タイトジャンクション」という強い結びつきがあり、これによって異物進入を防いでいます。しかしダニや花粉に含まれるプロテアーゼ(タンパク分解酵素)は、このタイトジャンクションを破壊してアレルゲンを侵入させますし、排気ガスやPM2.5も同じように破壊することがわかっています。これら有害粒子は、人類史上、曝露された経験がなかったため体で対処することができません。
世界最古の人類の骨腫瘍の跡が、ネアンデルタール人が暮らした洞窟からみつかっています。原因は、洞窟で火を燃やしていたことによる粉塵の曝露ではないかと言われています。もちろん喫煙でもタイトジャンクションは破壊されますから、喫煙は口腔内だけではなく鼻腔にも悪影響を及ぼしているのです。
化学バリア
外敵が攻め込んできたら、ちょっと乱暴ですが銃などの飛び道具で迎え撃つ、なんてことも想定されます。それに該当するのが化学バリアです。唾液にも含まれる「リゾチーム」や「ラクトフェリン」「ディフェンシン」と言った物質が相当します。この化学バリアが発動するときに関係するのが味覚です。味覚と言うと舌にある味蕾をパッと思い浮かべる人も多いと思いますが、実は味覚の受容体は舌だけではなく全身に広がっています。いわば全身で味を感じているのです。味覚はスイーツを味わうために存在しているのではなく、ヒトの生存のために存在しています。たとえば鼻腔には苦味受容体と甘味受容体があり化学バリアに役立っています。
細菌では少数では存在できず、たくさんの塊(プラーク)になって生き延びようとします。そのため周りの細菌と協力しあわねばなりません。自らの存在を示すために、そしてプラークを作って生き延びるために、「AHL」(アシルホモセリンラクトン)という物質を信号として放出します。口腔内細菌もプラーク形成に関わる物質としてAHLを利用しています。この細菌が出したAHLを、線毛細胞にある苦味受容体が「苦味として」感知します。すると、細菌を破壊する物質である「NO」(一酸化窒素)や「リゾチーム」といった抗菌物質が放出されます。このように味覚は、外敵から身体を守るためにも存在するのですね。
一方、甘味受容体は何をしているのでしょうか。防御には維持費がかかると述べました。では、どうやってコストを削減したらよいのでしょうか。外敵が近くにいないことがわかればある程度警備の手を緩めてもよさそうです。その判断を担っているのが甘味受容体です。
粘膜表面の粘液層にはさまざまな物質が溶け込んでいます。鼻汁は血液から産生されますが、鼻汁にもわずかながらグルコースが含まれています。甘味受容体はこのグルコースに反応します。
細菌が近くにいると鼻汁中の糖質を消費しますから、糖濃度が一時的に下がります。糖濃度が上がったというシグナルは糖を消費する細菌が排除された状態を意味します。甘味受容体は、鼻汁中の糖質が増えると「攻撃止め」のシグナルを細胞に送り、攻撃を中止して維持費を節約しているのです。
このように鼻粘膜では苦味受容体と甘味受容体が共同して身体に取り込む空気をきれいにしています。もちろん硬組織である歯にはこのようなメカニズムはありませんから、プラークは機械的に除去する必要があるのですね。
それが歯科医療の重要性だと思います。
生物学的バリア
生物学的バリアはまさにガードマンによるバリアです。ガードマンには2種類あります。白血球と常在菌です。上咽頭の上皮組織でも紹介したM細胞が見張り役、樹上細胞がガードマン兼ヒットマンです。樹上細胞は、貪食した異物をリンパ球に抗原提示する機能を持ち合わせます。
常在菌では、口腔内はもちろん、皮膚や腸、そして鼻腔にも存在し、その多くは表皮ブドウ球菌や黄色ブドウ球菌です。咽頭には連鎖球菌やナイセリア菌などが存在し、自分たちのスペースが脅かされないよう他の菌の生着を阻んでいます。気管支など下部気道には常在菌は少ないです。
鼻腔と咽頭・口蓋扁桃では、若干常在菌の構成は異なります。鼻腔は、線毛による異物排除システムが関係していると思われます。同じ気道でも、気管から肺胞までの下気道は通常無菌状態であるとされています。ところが細菌性肺炎などが起こってしまいます。これは上気道からの感染症や口呼吸によって異物が除去されずにそのまま肺まで到達してしまったこと、さらには鼻道で漉し取られることがない超微細粒子が炎症を引き起こしてしまったと考えられます。
鼻呼吸で増産したい"一酸化窒素"
仔馬が生れ落ちたときに母馬はすぐ鼻の周りの粘液など付着物をなめとります。本能的な行動なのでしょう。新生児は鼻呼吸ができませんから、同じように生まれたときにすぐ鼻腔内容物を吸引しなければなりません。鼻閉はそのまま絶命につながります。だからobligatory nasalbreather(絶対鼻呼吸人)と表現されます。喉頭の位置が大人とは違っているからです。この喉頭の位置は、生後3ヶ月ほどから徐々に尾側へ下降し、1歳前になると大人と同じ位置になり、喃語をしゃべるようになります。しゃべる準備は、口呼吸の準備ともいえます。
鼻呼吸では口呼吸より、吸気時のNO(一酸化窒素)濃度が十数倍も高いことがわかっています。そしてNOは、平滑筋の弛緩作用を持っており、血管や気管支を拡張させます。先に述べたように細菌を破壊する作用もあり、刺激を受けると細胞からの産生量は1,000倍にまで高まると言われています。
NOは気管支を拡張させることから、気管支喘息など閉塞性肺疾患で呼気中NOが高くなると言われており、臨床現場で検査も行われています。呼気中のNOは、90%が鼻腔由来であり、口呼吸では激減することがわかっています。高濃度NOが絶えず発生していることから鼻腔内を清潔に保つことが出来ます。
また、線毛運動不動症(たとえばkartagener症候群)では、長引く湿性咳嗽、慢性副鼻腔炎や気管支拡張症への頻回の罹患が目立ちますが、鼻腔内のNO濃度が低いこともわかっています。鼻腔やNOがそれだけ感染症の防御に役立っていることを示す事例でしょう。
このように防御のはたらきを担うNOですが、副鼻腔から殺菌作用のあるNOが大量に出ることを利用して、ハミングによって副鼻腔炎を予防できるとする研究もあります。ハミングにより副鼻腔が微細な振動を起こし、それが細胞への刺激となりNOが産生されるのです。
なお、NO同様、窒素酸化物であるディーゼルエンジンなどは、大気汚染や酸性雨の原因となります。